(14日、第107回全国高校野球選手権大会2回戦 横浜―綾羽)
甲子園初出場で初戦突破を果たした綾羽(滋賀)。千代純平監督(36)は、亡き恩師が病床の枕元に置いていたノックバットを手に、目標だった舞台に立っている。
- 野球少年が託された甲子園の土 「自分が出場して返す」綾羽で叶えた
千代監督は綾羽の卒業生だ。近江を1981年に初めて夏の甲子園に導き、2004年に綾羽の監督に就いた故・田中鉄也さんの情熱にひかれて綾羽に進学。内野手としてプレーし、主将を務めた。
大学卒業後に母校に戻り、12年からコーチとして田中さんのもとで選手の指導に携わった。
だが、千代監督が「恩師」と仰ぐ田中さんが、がんを患って入院した。
和田豊さんが贈ったノックバット
「もう一回甲子園に戻って、このバットでノックを打ってください」
そう言って病床の田中さんにノックバットを贈ったのは、プロ野球阪神タイガースで活躍して監督も務めた和田豊さん。田中さんが千葉・我孫子で指導していた時の教え子のひとりだった。
ノックバットは田中さんの枕元に置かれていたが、田中さんは闘病の末、15年に亡くなった。
そのノックバットが、千代監督の手に渡った。
田中さんの父親から「おまえが鉄也の代わりにこれを持って甲子園に行け」と渡されたからだ。
千代監督は17年に綾羽の監督となり、チームを率いるようになったが、ノックバットは甲子園でしか使わないと決めていた。
「約束を果たしたい」と思い続けてきた。
だが、甲子園は遠かった。滋賀大会を勝ち進むも決勝や準決勝で敗れ、その距離感を嫌というほど味わった。
そして今夏、ついに悲願を達成した。
甲子園初出場を決め、和田さんには「ノックバットを使います」と報告した。
甲子園練習で初めて使ってノック
1日に阪神甲子園球場であった練習で、千代監督は、恩師の父から託されたノックバットを初めて使い、選手たちにノックを打った。
田中さんから「景色がすごくよかった」と聞かされてきた甲子園。千代監督は「『素晴らしい景色』の一言。感動しました」。ノックバットの使い心地については「すごいよかった。いいフライが飛びました」と笑顔で答えた。
それからは、そのノックバットが千代監督の「相棒」に。チームは8日の初戦で高知中央と対戦。大会史上最も遅い終了時間となった激戦を、全員野球で勝ちきった。
「甲子園はいろんな人の思いを感じられる場所やぞ」と恩師は言いたかったのかな――。千代監督はそんな思いで甲子園のベンチにいたという。
次戦の相手は、春夏連覇を狙う横浜(神奈川)。この試合前の練習でも、新しい「相棒」となったノックバットを振る予定だ。