芸術は長く、命は短し――。音楽家の坂本龍一さんはこの言葉を大切にしていた。亡くなって1年の節目に、親交のあった俳優の吉永小百合さんや芸術家の李禹煥(リウファン)さんら7人に話を伺い、連載「坂本龍一が遺(のこ)したもの」を書いた。「強権」が目立ち、自由が失われつつある今、「リベラル」の本質とは? 守っていけるのか、ということを読者のみなさまと考える機会にできればとの思いもあった。
- 坂本龍一さんは師匠 「非戦」へ小さい声でも 吉永小百合さんの覚悟
吉永さんが坂本さんを「師匠」と呼んだのは、坂本さんが「反戦」ではなく、「非戦」を明確に打ち出し、軽やかに行動し続けていたからだった。坂本さんが活動を共にした吉永さんの原爆詩の朗読の原点は、ビキニ環礁の水爆実験で被(ひ)曝(ばく)した元船員の方を「どうかご無事で」と案じる気持ちだった。人権や命を何よりも重んじる点でも響き合っていた。
晩年の坂本さんが「先生」と呼んだ李禹煥さんは、「自分の言葉の拡大だけでは大したことはない。了解できない部分とぶつかる時に出てくる音の方がすごい」「人間やアートの根は自然に持つべきだ」という考えでつながっていた。
大きなものを知れば謙虚になる。「大変ピュアな生き方や音楽の方向にまっしぐらに進み、遥(はる)かな音を見つめていた」と語った。
ジャーナリストの金平茂紀さんは「悼むことはその人のしてきたことを継ぐこと」として、逡巡(しゅんじゅん)しながらも「自由にものが言えなくなったのは、商業主義が大きくなりすぎて、損得勘定で人々が自由から逃走しているからだ」と指摘した。坂本さんは常にものを言った。しなやかに、かっこよく。
東日本大震災の若者らでつくる「東北ユースオーケストラ」の元団員、畠山茜(あかね)さんは「自由を教えてもらった。惜しみない愛を感じた。私もそういう大人になりたい」と話した。
灯をともし、その灯を大切に継ぐ
リベラルとは? この連載で自問していると、手帳に貼った朝日新聞の「折々のことば」の一節を思い出した。「『リベラル』の第一義も気前のよさ」
戦争や気候変動、物価高など…