「和風 数(しばしば)重(しき)りて 百花開く」
(柔らかな風がしばしば吹いて、桜の花びらが多く開いている)
平安時代の812年、嵯峨天皇は京都市中京区の神泉苑で「花宴(かえん)の節(せち)」を催し、歌を詠んだ。
史書「日本後紀」に記されているこの花見は、日本に残る最も古い桜の満開の記録とされる。
それまで、日本では花見といえば梅が主流だったが、これを機に桜に変わっていった。
公家らは満開の桜の下に集い、歌を詠み合った。紫式部は、源氏物語で、光源氏が花見の宴の後に朧月夜(おぼろづきよ)と出会う場面を書いた。
花見の文化は次第に庶民にも広がり、日本中に多くの桜が植えられ、日本の文化や風景を象徴する花になった。
大阪公立大の青野靖之准教授(農業気象学)は、京都でヤマザクラがいつ満開になったのかのデータを1990年ごろから集めている。史書や日記から日付がわかる記録を探し、812年から現代まで1200年余りのうち、836年分の満開日を特定した。
なかでも有名なのが、戦国時代末期の1598年、権力の絶頂期にあった豊臣秀吉が、京都市伏見区の醍醐寺で開いた「醍醐の花見」だろう。
その経緯は、義演(ぎえん)座主(ざす)(住職)の日記に詳しい。
「太閤秀吉が突然醍醐寺を訪…