京都府や兵庫県の北部に大きな被害をもたらした2004年10月の台風23号の水害から20年。当時、兵庫県豊岡市長だった中貝宗治さんが京都府福知山市で「防災行政とリーダーシップ」について講演し、反省と教訓を語った。

 04年10月20日、台風23号は夜にかけて豊岡市に大量の雨をもたらした。中貝さんはその日の市や自身の対応を時系列でたどった。

 午後4時10分、市が災害対策本部を設置した。その直後、国土交通省から「午後9時には円山川の計画高水位を超える」という電話が入った。ただ、「このまま降り続けば」という前提だったため、全市的な呼びかけはしなかった。

市民に避難をどんな言葉で伝えれば

 午後5時40分、再び国交省から電話。「午後7時には計画高水位を超える」。中貝さんは直ちに避難勧告を出すと決断したが、実際に防災行政無線で勧告したのは午後6時5分。25分もかかった理由について中貝さんは「原稿のマニュアルがなかった。どんな言葉で伝えればいいのか、わかっていなかった」と説明した。

 午後7時13分、避難指示を発令。その7分後、国交省から排水ポンプの停止依頼があった。円山川から支流への逆流を止めるために水門を閉めた後、支流の水をくみ上げて円山川へ流すのが排水ポンプの役目。それを止めることは支流のはんらんを覚悟しなければならない。といって、排水ポンプを止めなければ、堤防が決壊する恐れもあった。

 中貝さんは支流のはんらんより、堤防の決壊の方が市民をより危険にさらすと判断。「停止以外選択肢はなかった」。排水ポンプの停止を職員に命じた。職員からは「いいんですね」と何度も念を押されたという。

日付が変わり、中貝さんは防災行政無線で市民を励ましたそうです。記事の後半で明かされます。

 午後9時ごろ、円山川の水位…

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