本尊の阿弥陀如来坐像の横に立つ阿弥陀寺の寺西良学副住職=2024年10月7日、京都市山科区、筒井次郎撮影

 京都・山科にある四つの古寺が今秋、本堂などを公開する。「京都非公開文化財特別公開」(京都古文化保存協会主催、朝日新聞社特別協力)の一環で、元慶寺(がんけいじ)と阿弥陀寺は初めて、勧修寺(かじゅうじ)は5年ぶり。本堂の修理を今春終えたばかりの隨心院(ずいしんいん)は、春に続く公開だ。

元慶寺 本堂内に並ぶ赤い提灯

 まずは町に溶け込む二つの小さな寺へ。

 京都市営地下鉄東西線で、中心部から蹴上(けあげ)の坂を越えれば山科区。御陵(みささぎ)駅から20分歩くと、しっくい壁が映える鐘楼門が現れる。住宅地にたたずむ天台宗の古刹(こさつ)・元慶寺だ。

 平安後期に花山天皇が出家した。NHK大河ドラマ「光る君へ」の序盤に、藤原道長の兄・道兼らの策略で退位した様子が描かれた。法皇となって西国三十三所霊場を復興したことから、今は番外札所として参詣(さんけい)者が訪れる。

 本堂内は、頭上に並ぶ十数個の赤い提灯(ちょうちん)が独特だ。花山法皇の肖像画や出家の様子を描いた大和絵も披露される。

 杉山良空副住職(47)は「牛車に乗っていたとはいえ、花山天皇が都から坂の上のこの辺りまで来た距離を実感してもらえたら」と話す。

阿弥陀寺 源信作と伝わる黄金の仏

 元慶寺から徒歩20分、山科駅からだと10分。浄土宗の阿弥陀寺は、旧三条通のそばにある。

 寺伝によると、奈良時代に東大寺の大仏造立に尽力した僧の行基が開いたという。天台宗に属した平安時代は「叡山三千坊の随一」といわれる別院だった。

 恵心僧都(えしんそうず)源信の作と伝わる本尊の阿弥陀如来坐像(ざぞう)は、明治時代の学術調査で「美術上優等の作」と評価された。修理を経て、往時のような黄金の姿で安置されている。狩野派の作と伝わる仏画・釈迦三尊像なども公開される。

 「近年、寺の歴史を調べる中で寺宝の由緒が分かってきた」と寺西良学副住職(29)。「今後も大切に守っていきたい」

勧修寺 部屋囲む書院の障壁画

 山科駅から三つ目。小野駅の東西に、風格のある二つの真言宗の門跡寺院がある。

 西には、平安前期に醍醐天皇が開いた勧修寺。書院(重要文化財)は、江戸時代の絵師、土佐光起(みつおき)・光成親子による障壁画が二つの部屋を囲む。

 光起の「近江八景図」は、瀬田の唐橋などの名所が、床の間や襖(ふすま)に細かい筆致で描かれる。隣の部屋は光成による大和の景色「龍田川紅葉図」。紅葉の絵は廊下に続き、屋外にある実際のモミジにつながる趣向だ。

 本堂では本尊・千手観世音菩薩(ぼさつ)像を拝観できる。「御前様(住職)が朝晩に御給仕する仏様がいかに大切にされているか、堂内で感じていただきたい」。佐々木玄峯執事(51)は語る。

隨心院 優美な秘仏、間近で拝観

 一方、東にあるのは平安前期の歌人、小野小町ゆかりの隨心院だ。

 桃山期の本堂で、3年かけて修理された重文の仏像3体を間近で拝観できる。その一つ、本尊・如意輪観世音菩薩坐像は、普段は厨子(ずし)に納められる秘仏。優美な姿が印象的だ。

 谷田英司書記(37)は「町なかの人混みを避け、ゆったりした気分で参拝してもらえたら」と話す。

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 公開は11月1日から。元慶寺(北花山河原町13)、阿弥陀寺(御陵天徳町19)、勧修寺(勧修寺〈かんしゅうじ〉仁王堂町27の6)は10日まで。隨心院(小野御霊町〈ごりょうちょう〉35)は12月1日まで。拝観料は各大人1千円、中学・高校生500円。☎075・451・3313(京都古文化保存協会)(筒井次郎)

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