Smiley face
写真・図版
昨年の祇園祭で設けられたプレミアム観覧席=2023年7月17日、京都市中京区、鈴木康朗撮影
  • 写真・図版

 「祇園祭はショーではない」。八坂神社(京都市東山区)の野村明義宮司の発言もあり、京都市観光協会は山鉾(やまほこ)巡行のプレミアム観覧席で酒や料理を提供しないことにした。歴史をひもとけば、町衆たちは信仰を大切にしながら山鉾の豪華さを競い、足利義満も織田信長も巡行を楽しんだ。祇園祭にみる信仰と観光とは――。

 平安時代の869年、疫病退散を願って始まった祇園祭は時代とともに変わってきた。

 中世の祭りに詳しい奈良大学の河内将芳教授(日本中世史)によると、14世紀には山鉾巡行の記録が確認できる。町衆が競い合い、次第に山鉾が豪華になった。

少年時代の世阿弥と酒を飲んだ義満

 室町時代の応仁・文明の乱以前は、公家や武家が山鉾巡行を見物する習わしが続いていた。カーテンのような御簾(みす)で覆われた「桟敷(さじき)」という建物で、家来や関係者とともに巡行を楽しんだ。

 なかでも、足利将軍による見物は庶民からも注目された。3代将軍義満のころから始まったとみられる。家臣たちが桟敷を構え、そこに将軍が足を運ぶ形が基本だった。

 公家の日記「後愚昧記(ごぐまいき)」には、義満が寵愛(ちょうあい)していた少年時代の世阿弥(ぜあみ)を連れて見物したという記録が残る。「席を同じく」したばかりか、「器を伝え」と記され、ひとつの酒器で酒を飲んだという。ただ、これが巡行中なのか、その前後なのか、はっきりしない。

 将軍家による巡行見物は8代将軍義政の時代まで続いた。応仁の乱で巡行は中断。1500年に復興したあと、足利12・13代将軍のほか、信長や豊臣秀頼も見物したという記録も残っているという。

神輿に手を合わせる人も

 祇園祭では八坂神社の神輿(みこし)が渡御する。山鉾巡行との違いも絵画史料などから確認できる。

 神輿の周りでは人々が地面に座り、神輿にうつされた祇園社(今の八坂神社)の祭神に手を合わせる姿が描かれている。一方、山鉾巡行の絵では人々は立ったままだ。河内さんは「山鉾を指しながら、気ままに路上で仰ぎ見るという風情」と説明する。

 こうした記録から中世の山鉾巡行は「神事的な側面がある一方、リラックスして楽しむ興行的な意味合いも兼ね備えていたとみられる」と話す。

 今の巡行はどうか。山鉾が方向転換する辻回しを間近で見られる河原町御池の交差点が「特等席」の密集地になりつつある。ただ、高額だ。

山鉾巡行をする町衆はプレミアム観覧席をどう思っているのでしょうか。記事の後半で語られます。

 市観光協会は長年、御池通に…

共有