中野区役所の敷地内にある犬の像=東京都中野区

暴君のイメージだが

 世に理不尽な政策は多いが、江戸時代中期の「生類憐(あわ)れみの令」もなかなかのものだ。犬を殺せば罪に問われ、遠島や死刑もありえたのだから。この政策を進めた5代将軍徳川綱吉(つなよし、在職1680~1709)には暴君のイメージがあるが、目指すところは仁愛の政治だったという。一体どういうことか。実像を求めて、まずは東京都中野区を訪ねた。

 綱吉のころを描いた時代劇で、よく目にする光景がある。「お犬さま」とあがめながらも、犬を怖がる庶民。そして、囲われた柵の中にいるたくさんの犬たちだ。「お囲い」とも「犬屋敷」ともいわれる犬の保護収容施設は四谷や大久保に設けられたが、手狭になり、中野に巨大施設がつくられることになった。農村地帯に、竹垣で囲まれた犬小屋が立ち並んだ。元禄8(1695)年のことだ。

 囲いの数は5カ所に及び、広さは28万坪(約93ヘクタール)に達した。現代の地図に重ねると、JR中央線をまたぎ、中野駅から高円寺駅にかけての広い地域にあたる。いま現地を歩いても、残念ながら痕跡は何もない。商業ビルやマンションを眺めながら、おびただしい数の犬がほえる姿を想像するだけである。かろうじて、区役所の敷地に置かれた数匹の犬の像が、ここに何があったかを伝えている。

東京・中野にあった犬の保護収容施設「お囲い」の場所

 手がかりを求めて区立歴史民俗資料館(江古田4丁目)に行くと、「犬駕籠(かご)」なる犬を運ぶための小さな駕籠が展示されていた。史料をもとに復元したのだという。それにしても、こんなものを担いで1匹ずつ運んだら、どれだけ時間と人手がかかったことか。何しろお囲いには10万~30万匹の犬がいたというのだから。

犬駕籠を推定復元した模型=中野区立歴史民俗資料館所蔵

一大プロジェクト

 この一大プロジェクトの様子をうかがわせる文書があると、資料館で教わった。農政家・田中丘隅(きゅうぐ)による「民間省要」の一節で、犬小屋づくりのために大量の竹や木を運搬する様子が「馬車の響(ひびき)は雷の如(ごと)し、人足の音は地震に似たり」と記されている。犬もどんどん運びこまれ、大通りは人がすれ違えないほどの混雑になったという。

 綱吉が生類憐れみに乗り出し…

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