秋になると紅葉するハゼノキは、触るとかぶれるウルシ科の植物だ。一方で、和ろうそくや力士がまげを整える際の油の原料になる。
かつてハゼノキの実から油を搾った木蠟(もくろう)で繁栄した愛媛県大洲市が、伝統の復活をめざして植樹に取り組んでいる。
愛媛随一の大河川、肱川(ひじかわ)沿いに広がる城下町で、「伊予の小京都」と呼ばれる大洲。江戸時代、大洲藩がハゼノキ栽培を農家の副業として奨励し、木蠟産業が発展した。観光地の「臥竜山荘」は明治期に木蠟の輸出で財をなした貿易商、河内寅次郎(1853~1909)が約10年の歳月をかけた数寄屋建築の傑作だ。
ただ、大正に入ると価格の安い石油系の蠟に市場を奪われ、衰退。全国のハゼの実の生産量は1959年に1931トンだったものが、2003年に94トンになった(日本特用林産振興会の資料)。愛媛県史によると、ハゼノキは桑や果樹に植え替えられたという。
「かぶれは大丈夫?」議会で質問出たが
そんなハゼノキを市が再評価したのは2024年。合併20周年記念事業として、伝統の復活と紅葉による景観美を取り戻すことを狙い「ハゼの細道プロジェクト」を立ち上げた。
24年度に225万円、25…