Smiley face
筆者のランニングウォッチが記録したサロマ湖100キロウルトラマラソンの足跡=Epson Neo Runの画面から

 1967年生まれの私にとって、作家の村上春樹は特別な存在だ。私の書棚にはもちろん、学生時代、友人の部屋にも必ずと言っていいほど村上春樹の著作が並んでいた。

 特に、1987年に発行された書き下ろし長編小説「ノルウェイの森」は、上下2分冊で刊行され、そのカバーが赤(上)と緑(下)だったため、とても目立ち、誰の書棚にあってもそこだけが光って見えた。

 2017年春、サロマ湖100キロウルトラマラソンに向けての練習を積んでいる時、久しぶりに村上春樹の著作を読んだ。自伝的エッセー「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)だ。

 村上春樹は1996年6月23日、11時間42分でサロマを完走している。その時のことを第6章「もう誰もテーブルを叩(たた)かず、誰もコップを投げなかった」でつづっていたのだ。

 そこにこんなくだりが出てくる。

 ――「僕は人間ではない。一個の純粋な機械だ。機械だから、何を感じる必要もない。ひたすら前に進むだけだ」

 その言葉を頭の中でマントラのように、何度も何度も繰り返した。文字通り「機械的」に反復する。――

 これらの言葉を読んで私は「100キロを走ろうとするとこんな精神状態になるんだ」と思った。しかし、そうは思えても、その状態がどんなものか想像すらできなかった。

 初挑戦となった2017年6月25日のサロマは、その後半に、似たような精神状態へと私を導いていった。

筆者は、経験したことのない精神状態に陥りながらも、90キロ地点に達します。そして、そこで大切なことに気づきます。さあ、残り10キロ。しかし、足はもう限界に達してしまいました。そこから筆者が見たものとは……。

 60キロ通過は正午ごろだっ…

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