これでは原発の安全を守れない。そうとらえざるを得ない判決だ。

 不断に対策を取る努力を否定し、事故は仕方なかったと言っているようなものだ。事故の当事者である東電の誰も責任をとらなくていいことになり、禍根を残しかねない。

 原発の安全の一番の責任は、運転する電力会社にある。どうなると事故に至るかを最も熟知しているのも電力会社だ。

記者会見後に報道陣に囲まれる東京電力の清水正孝社長(当時)=2011年3月13日、東京都千代田区

 もし事故を起こせば、周辺に甚大な被害をもたらす。だからこそ原発は、常に「安全側」の判断が求められてきた。

 例えば「危ない橋は渡らない」「石橋をたたいて渡る」といった言葉があてはまる。

 選択肢があれば、より安全なほうを選ぶ。めったにない現象まで考慮し、想定を超えても大丈夫なように設計に余裕を持たせる。一つが機能を失っても、別の手段でカバーする。法令を守るだけにとどまらず、さらに安全になるよう追求し続ける――。

 これは、事故前から当たり前の考え方だった。

 しかし、東京電力旧経営陣に対する株主代表訴訟の東京高裁判決は、津波対策を取らなかった旧経営陣の判断を容認した。

 事故前、東電の担当部署は、国の地震予測「長期評価」は津波想定に反映すべき知見ととらえていた。津波対策は不可避と考え、経営陣に判断を仰いだ。

 だが東電は、東日本大震災が起こるまで2年半以上、最低限の対策にも着手しないままだった。

 裁判で焦点になったのが、この経緯の評価と、事故との関係だ。

 一審判決は、対策を取らなかったのは「先送り」に過ぎず、不作為だったと問題視したのに対し、高裁判決は、運転を停止するだけの切迫感を抱けなかったとして賠償命令を取り消した。

 原発事故をめぐってこれまでに出た二つの最高裁の判断と足並みをそろえた形で、運転停止に絞って結論を導いたのは旧経営陣を無罪とした刑事裁判と同様だ。

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 この裁判では東電そのものの安全への姿勢と、生じた損害に対する経営者の責任が問われていた。

 経緯をつぶさに見ると、一審…

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