記者コラム「多事奏論」 編集委員・清川卓史
初めて認知症をテーマとした取材をしたのは30年近く前だった。認知症をとりまく状況は大きく変わり、昨年には「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行された。理解を深めるため、9月は「認知症月間」とされている。
私の記事を読み返すと、伝える言葉も、自分の「認知症観」もずいぶん変わったと感じる。例えば2004年10月に書いた記事の書き出しはこんな風だった。
「徘徊(はいかい)、火の不始末、妄想……。運動能力が衰えていない痴呆(ちほう)高齢者の介護は、家族にとって重い負担だ」
現在の朝日新聞の報道では使わない用語が二つあるが、あえて再掲した。
一つは「痴呆」だ。この記事が出た年の暮れ、厚生労働省は「痴呆」という呼び方を「認知症」に変えた。侮蔑的表現であるなどとした検討会報告を受けた決定だった。
いま思うと、「痴呆取材班」の一員だった頃の私の取材姿勢や態度には、根本的な問題があった。
認知症の人とご家族に取材するとき、私は家族の方を向き、家族に取材の了解をえて、家族にだけ質問した。大変無礼なことだが、ご本人には声もかけぬままということがあったかも知れない。「質問しても認知症の人は何もわからない」という偏見にとらわれていたからだ。
私にとっても、社会やメディアにとっても大きな転機は、04年に京都市で開催された国際アルツハイマー病協会国際会議だった。
「私たちの能力を信じて」と…