ですけさん(32)の母は、何よりも食べることが好きな人だった。
冷蔵庫には「非常用のようかん」1本を常にストック。
疲れている時や嫌なことがあると、豪快にかぶりついてペロッと1本食べる。
帰宅してようかんがないことに気づいた家族は、「今日は何かあったんだな」と察することができた。
料理上手で豪快な性格だった母は、しかり方もかっこよかった。
中2の時、ですけさんがたばこを吸おうとしたのが見つかった時のこと。
喫煙者である母は「大人になってからの方がうまいよ」と言って、こんな話をしてくれた。
「大人になったあんたがしんどい時、すぐ消えるような煙が少しだけ支えになる時が来るよ。お酒か、女の人か、お金かもしれんけど。全部ほどほどにしとけばいい」
ですけさんが「俺、ゲイかもしれん」と告白した時は、驚く様子もなくこう言った。
「あ、そうなん? 彼氏できたら連れてきて。ご飯食べさせたいし」
そんな母は、親しい人たちからは「ちゃんこ」と呼ばれていた。
ふくよかな体形で愛嬌(あいきょう)のある性格だったから、ピッタリな呼び名だった。
持病が悪化して両足を切断
ですけさんが中学生のころ、母は持病の糖尿病が悪化して右足のひざから下を切断した。
数年後には左足も同じように切断することになった。
心配する家族をよそに、母はガラケーで「明日、切りまーす」と動画を撮影。
車椅子生活になってからも、できることは何でも自分でやろうとした。
ですけさんが頼まれたことは、毎朝「ネスカフェ ゴールドブレンド」のインスタントコーヒーをいれること。
医師から糖分を控えるように言われていたが、砂糖を大さじ1.5杯は入れていた。
「太く短く生きるんよ」が口癖だった母の意思を尊重して、家族も主治医も黙認していた。
もう一つ頼まれていたことが、車椅子を押しながら定期的に散歩すること。
思春期の息子を気遣ってか、同級生たちが出歩いていない時間を選んで声をかけていたようだ。
夏の夕暮れ時、ですけさんが車椅子を押して、一緒にスーパーに買い物に行ったことがあった。
肺に水がたまるようになっていて「もう少ししたら、また入院かもね」と言っていた時期。
母が「アイス食べたいね」と言うので、パピコを買って半分ずつ食べることにした。
帰り道、車椅子の上で食べていた母は、太ももにポタポタと涙をこぼしながら、絞り出すように言った。
「出来ることが、どんどんなくなってく……」
ようかん1本をまるまる食べるような人が、分け合ったパピコですら食べきれないほど、弱っていた。
いつも気丈に振る舞っていた母の涙を見て、ですけさんも泣いた。
涙と鼻水でグジャグジャになりながら、「自慢のおかんだよ」と声をかけるのが精いっぱいだった。
しばらくして母は入院し、治療から緩和ケアに移行。
モルヒネを常時投与するようになると会話も難しくなり、寝ているのか起きているのかわからないような状態になった。
忘れられない出来事
あんなにふくよかだった母が、会うたびに細くなっていく。
会話はできなくても、手を握ったり、キスしたりすると反応があった。
当時、高校生だったですけさんにとって、忘れられない出来事がある。
学校帰りに病室を訪ね、着替えの服を整理して、花の水を替えていた時のこと。
ですけさんは無意識に、ある曲を口ずさんでいた。
家族でカラオケに行った際…