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町亞聖さん(左)と谷川直子さん

■町亞聖さん、谷川直子さん対談(上)

 フリーアナウンサーの町(まち)亞聖(あせい)さん(53)、作家の谷川直子さん(65)はともに親を介護し、看取(みと)った経験をエッセーや小説にしています。経験から伝えたいこと、死と生について考えたことを語り合っていただきました。2回にわたってお届けします。

 谷川 義理の父と実の父が認知症でした。義父の介護をしたのは15年以上前。施設に入り病院で亡くなるまで1年半ほど介護しました。当初、病院では夜間介護のため泊まり込む必要があり、介護スキルをヘルパーさんからたくさん教わりました。介護しているのは「長男の嫁」が多かったです。

 実の父は2年ほど前、96歳で亡くなりました。最後の4年間は自宅で、母も80代の老老介護。それでも「私がやらなきゃ」と母はがんばって、私が手を出すと気に入らなくてやり直すんです。母なりのやり方があるんですね。疲れ切って最後は任せてくれたんですが、介護って人の家庭に入り込むことだから「国」と「国」との衝突が起こる。子どもも成人したら自分の国を持ちますが、母は自分の国を持っていますから、うまくやるには「外交術」が必要だと思います。

 町 介護保険制度が始まって25年経ちますが、いまだに他人が家に入ることを拒む方がいます。理由は様々ですが、家を守ってきたプライドもその一つです。

 私の母がくも膜下出血で倒れ、脳梗塞(こうそく)を併発したのは1990年。母は40歳で右半身まひと言語障害が残り、車いす生活になりました。私は高校3年で弟が中学3年、妹が小学6年生。介護保険制度もなく、家族が介護するのが当然という時代に、私たちきょうだいはヤングケアラーになりました。さらに酒乱の父という問題も抱えていました。私はそれまで家事をやったことがなく、通帳の置き場所もわからなかった。当時は誰かに相談することもできませんでした。

 倒れて8年半後、母に子宮頸…

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