モンゴル帝国(元)が日本を2度襲った元寇(げんこう)。最初の文永の役(1274年)から750年の今年、戦地となった九州では様々な催し・発表が相次ぐ。大学でモンゴル語を学んだ記者が、モンゴル軍の目になって現地を歩いた。

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 天然の良港・博多湾。大量の軍船の係留には最適で、政治的拠点に打撃を与えるため、元軍はここをめざした。文永の役で鎌倉幕府の九州の拠点だった太宰府近くまで侵攻された日本側は、再襲撃に備え、海岸線に全長約20キロの防塁を築いていた。

 生の松原(福岡市西区)の波打ち際に立つ。30メートル先の陸地には、灰色や白い石を2メートルの高さに積み上げた元寇防塁が復元されている。

 防塁の壁へ、一気に走る。壁の上や向こうから日本の侍が弓矢を放ってくる。よける自信はない。ただ、こちらにも人数はいるし、日本にない火薬武器の「てつはう」もある。そう考えると、この壁、ちょっと低くないか?

九州国立博物館に展示されている「てつはう」=2024年9月20日午前11時49分、九州国立博物館、山本達洋撮影

 九州国立博物館の主任研究員…

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