大相撲史上初の外国出身横綱で、格闘家としても活躍した曙太郎(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが4月、心不全のため東京近郊の病院で死去した。11日、関係者が明らかにした。54歳だった。
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1969年、米ハワイ出身。88年にハワイ出身の東関親方(元関脇高見山)にスカウトされて来日し、同年春場所で若花田(後の3代目横綱若乃花)、貴花田(後の横綱貴乃花)兄弟らと同時に初土俵を踏んだ。豪快な突き押しを武器に、90年秋場所で新入幕。92年夏場所後に大関昇進を果たすと、93年初場所後に第64代横綱に昇進した。96年に日本国籍を取得。
身長2メートル超、体重233キロ(引退時)の巨体を生かして通算11度の優勝を果たし、貴乃花と「曙貴時代」を築いて大相撲人気を支えたが、終盤はひざの故障に苦しみ、長期休場も経験。2001年初場所で引退し、東関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。格闘家に転身するため、03年に日本相撲協会を退職。その後はプロレスなどのリングに上がっていた。