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写真・図版
山川静夫さん

 1925年のラジオ放送開始以来、出来事をリアルタイムで伝える「実況」は、人々を引きつけてきた。NHK紅白歌合戦の司会や、歌舞伎・文楽の舞台中継で知られる元アナウンサーの山川静夫さん(92)も、語ることの力に魅了された一人。実況の魅力を語ってもらった。

 ――生まれも育ちも静岡で、子ども時代からラジオに親しんでいたそうですね。

 祖父が、ガーガーいうラジオに耳をすりつけるようにして聞いていたのを覚えています。

 舞台中継も好きだったし、野球や相撲の中継も。ラジオから聞こえた、「フジヤマのトビウオ」こと水泳の古橋広之進の活躍には、僕らは血湧き肉躍る思いをしたんですね。

 僕は案外、野球がうまかったけれど、小柄だったから野球チームに入れてもらえなかった。古い松の木の上に登って、祖父のラジオで聞いたような口調で草野球を「中継」していました。

 高校時代は、友達に「山川、また『放送』をやってくれ」と言われて、「ボールカウント2ストライク、3ボール」なんて、実況のまねをすることもありました。評判は良かったですよ。

憧れた、ラジオの舞台中継

 ――東京の大学に進学し、そこで出会った歌舞伎に夢中になって劇場に通い詰めた。憧れは、ラジオの舞台中継のアナウンサーだったそうですね。

 中継をオープンリールのテープに録音して、書き写しては、「このアナウンサーは下手だな」とか「この人は、黙っていてもいいな」とか。

 僕が目指していたのは、NHKからニッポン放送に行った高橋博さん。ちょっとさびたような声でね。「熊谷陣屋」で、熊谷が花道を引っ込むところのアナウンスなんか、実にうまいんです。

インタビューでは地方局時代のスポーツ中継や、司会を担当した科学番組「ウルトラアイ」を巡るエピソードについても話して頂きました。

 “夢と過ぎた十六年。ひと昔…

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