初優勝を決め、喜ぶ京都国際の選手たち=2024年8月23日、阪神甲子園球場、有元愛美子撮影

 今夏の甲子園はロースコアの試合が多く、その中でも京都国際と関東第一(東東京)の決勝は手に汗握る好ゲームでした。その熱戦を延長で制し、初の日本一に輝いた京都国際を訪ねました。

 まず驚いたのがグラウンド。左翼約70メートル、右翼は60メートルほど。三塁側から左翼にかけては急な山に迫られ、右翼側の校舎や駐車場に挟まれた、いびつな長方形といったところ。狭いとは聞いていましたが、こんなに狭いとは。僕が造ろうとしている少年野球場と同じサイズです。

 とても全国制覇を成し遂げた高校のグラウンドとは思えません。小牧憲継監督(41)は「環境に恵まれなくても一生懸命やってきた子たちが日本一になれたことは、すごく意義がある」。また、「チーム練習でできることが限られるからこそ、逆に個の能力、技術を磨いていくことにこだわった」と話します。

 いずれも左腕の中崎琉生(るい)(3年)、西村一毅(2年)の両投手を軸に、堅い守備と勝負強い打撃が印象的なチームでした。練習を見て納得しました。全体練習のほとんどは内外野のボール回しやノックなど、実戦に即した内容です。暗くなってくると打撃練習。外野ではなくバックネットに向かい、強く低い打球を心がけて振り込みます。さらに個人練習は夜遅くまで。こうして個の技術が磨かれます。内外野の連係などは練習試合や大会で培うそうです。

 2008年に監督に就任した当初は部員も少なく、チームとして勝ちたいという選手より、野球がうまくなりたいという選手が多かったそうです。「昔は育成することしか考えていなかった。一人でも多く上の世界で活躍する選手を育てたい、と」と振り返ります。そんな選手たちが力をつけて甲子園に出場するように。DeNAの森下瑠大投手(20)らプロ野球選手も生まれます。上の舞台に進む先輩の姿を見て、「甲子園に行きたいと高い意識を持って入ってくる子が増えた」と言います。選手の意識変化とともに、育成に重きを置いた指導法も変化。今は「勝利の追求と育成を同時に進める難しさ」を感じているそうです。

 意識変化した選手たちの代表格が藤本陽毅主将を始めとする今年の3年生。エースの中崎投手も、最初はプロになることを目標に京都国際に入ったそうです。「でも、プロに入るような先輩方を見て、当時の自分じゃ通用しないと思った。そんな中で高校野球の面白さは自分一人じゃなく、チームで戦うことだと気付いた。個人の結果だけじゃなく、チームとして勝てるように、と考えるようになった」。その先に日本一がありました。

 チームに変化を促したのが、今春の選抜大会の初戦で青森山田に喫したサヨナラ負け。「打倒青森山田」を合言葉に「個」の力がまとまり、青森山田には選手権大会の準決勝で雪辱を果たしました。

 また、低反発バットが導入され、低く強い打球を徹底していたことも奏功。「バットが変わったこともプラスになった」(小牧監督)と言います。

 100周年の甲子園を制した小牧監督は今後の高校野球について「伝統を受け継いでいく責任」と同時に「絶えず変化、進化を求める姿勢」を強調しました。その言葉通り、柔軟に変化を求めた結果が、日本一につながったのだと思いました。

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