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青森北の工藤公治監督=2025年7月20日午前10時40分、青森県営、小田邦彦撮影

 (第107回全国高校野球選手権青森大会準決勝 青森北―八戸学院光星)

 「甲子園」という父の悲願をかなえるため、息子は父を追いかけて単身赴任先にやってきた。

 全国高校野球選手権青森大会で21年ぶりの4強入りを果たした青森北。青森山田、八戸学院光星の私学2強が君臨する青森で、公立校の名将として知られる工藤公治監督は、左翼のレギュラー選手である息子の亘晴選手(3年)と共に勝ち上がってきた。父と子の思いが結実するまで、あと2勝なるか。

 工藤監督は青森県の下北半島にある大湊を指揮して、選手権青森大会で2度決勝に進んだ。1度目の2009年は青森山田、2度目の16年は八戸学院光星の前に涙をのんだ。選抜大会の21世紀枠の青森県推薦校に選ばれたこともあるが、出場はかなわなかった。

 自身が大湊の高校生だった時も、秋の東北大会に出場したが、初戦で敗れて選抜大会に行けなかった。いつも、あと一歩で聖地に届かなかった。

 工藤監督は言う。「甲子園に行った監督は、『もう一度行きたくなる不思議な場所』と甲子園のことを言います。でも、自分は知らない場所です。だから、挑戦を続けています」。そしてこう続ける。「甲子園は生きる力を与えてくれる場所です」

 大湊を強豪に育てた工藤監督だが、公立校のため異動があり、8年前に青森北に赴任。下北半島のむつ市に家族を残しての単身赴任で、当時は亘晴選手は小学4年生だった。自宅に帰ることは多くはなく、工藤監督は「息子に野球を教えたことはないんですよね」と言う。

 だが、亘晴選手は高校進学で自宅から遠かった青森北を選び、野球部に入部した。「お父さんは甲子園に行ったことがない。尊敬するお父さんなんで、一緒に野球をしたいと思いました」。

 父親から甲子園への思いや、決勝で敗れたときの話は聞いたことがない。ただ、キャッチボールは一緒にした。周囲の人から、監督として選手として父親の活躍は聞かされてきた。中学の時、レギュラーを外された悩みを電話で1時間も聞いてもらったことがあった。うれしかった。

 高校に入学し、再び、父親と生活することになった。やりにくいな、と思うこともある。

 学校では「監督さん」と呼び、敬語で話す。家では「お父さん」呼ぶが、会話はほとんどないという。「練習で結構怒られるんです。落ち込んでいる時に家で顔をあわせると、イラッとしてしまいます」。父親を尊敬していても、面はゆくてそんな気持ちを伝えたことはない。

 監督の息子だから試合に出られると思われるのは嫌だった。だから、ほかの選手に負けないように朝から練習した。周囲も認めるその努力で、今大会は準々決勝まで2番打者として打率3割8厘と活躍している。

 いよいよ、準決勝から強豪私学との対戦になる。「粘り強く、泥臭く、我慢強く戦います」と工藤監督。準決勝は7月23日、弘前市のはるか夢球場で八戸学院光星と対戦予定だ。

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