対馬丸=日本郵船提供

 1944年8月22日、学童疎開船「対馬丸」が那覇港から長崎に向かう途中、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しました。乗船していたとされる1788人のうち、判明しているだけで学童784人を含む1484人が亡くなりました。防衛省防衛研究所戦史研究センターの齋藤達志2等陸佐は、80年前の悲劇は、現代において再び始まった住民疎開の議論に様々な教訓を投げかけていると語ります。

 ――事件当時の背景はどういうものだったのでしょうか。

 米軍は44年7月、サイパンを占領しました。米軍の次の進攻目標の一つとして、南西諸島が予想されました。政府は7月7日の閣議で、鹿児島県奄美大島、沖縄県の住民を島外に引き揚げることを決め、鹿児島、沖縄両県にその旨を指令しました。

 また、学童集団疎開について…

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