1963年に起きた「狭山事件」で強盗殺人などの罪に問われて無期懲役刑が確定した後、3度の再審請求をしていた石川一雄さん(86)が11日に亡くなった。60年以上にわたって無実を主張し、現在は2006年から続く第3次再審請求の途中だった。突然の訃報を受け、関係者からは驚き、悼む声があがった。
「第3次再審請求も進み、無罪まであと少しと期待を持っていただけに、いまだに信じられない。無念だったと思う」
50年以上支援してきた小野寺一規・部落解放同盟県連書記長は、71年から支援を始め、94年に仮釈放された石川さんの身の回りの世話をしていたという。「思い出はたくさんある。最近もそこまで調子は悪くないと聞いていた。泣いても泣ききれない」
3月11日が61年前に浦和地裁(当時)で死刑判決を出された日と同じであることに触れ、「余計に胸が締め付けられる思いだ」と語った。
12日に妻の早智子さんや実兄の六造さんらと話し合い、再審請求を続けることを確認したという。「事件から62年がたち、亡くなった支援者も多い。関わった方々の意志も引き継ぎ、無罪判決が出るまで今後も支援を続けていきたい」
「被差別部落の人間だという決めつけ」
同じく50年以上にわたり石川さんを支援してきた片岡明幸・同執行委員長は「犯人は被差別部落の人間だという決めつけが、石川さんの逮捕につながった」とした。2月28日に見舞いのため石川さんの自宅を訪問したとき、石川さんは体の痛みを訴えていたものの、5月に東京である集会に向け「参加できるよう頑張りたい」とはっきり話していたという。
弁護団の河村健夫弁護士は「亡くなられるとは思ってもいなかった。再審請求の手続きが山場を迎えるなか非常に突然のことで、驚きで言葉が出ない」と話した。
生前、石川さんが「私は再審無罪を求めているのではなく、再審開始を求めている。再審を開始すれば、必然的に自分がやっていないことが明らかになる」と話していたことが印象に残っているという。「それだけ自分はやっていないんだという思いが強かったと思います」
■「存命中に再審開始できず…