聞きたかったこと 広島
刺さったガラスの破片は今も体内にある。胸に手をあてると、その感触がわかる。1945年8月6日の痛みは、体と心に刻まれたままだ。
広島県廿日市市の清水俔子(ちかこ)さん(94)。被爆当時15歳で、安芸高等女学校の4年生だった。
あの日、水主(かこ)町(現・広島市中区加古町、爆心地から約1キロ)の自宅にいた。学校を休んでいた同級生の様子を見に行くようにと先生に言われ、その日は工場への勤労動員を休んでいた。
午前8時15分ごろ、自宅の屋根に上って空を見上げていると、飛んでくる飛行機を見つけた。慌てて室内に入った直後だ。ドーンという大きな音と共に、爆風が家を襲った。驚いて立ち上がった母親が、体ごと吹き飛ばされる様子が目の端に映った。
清水さんの家はつぶれ、大きな柱の下から必死ではい出した。がれきの下から「助けて」とうめく声が聞こえたが、どうすることもできない。気絶していた母を助け起こすと、近くの住吉神社まで一緒に逃げた。
「お前が娘を殺したんだ」父がぶつけた怒り
神社までの道は被爆者であふれていた。「お姉ちゃん、痛いよ、痛いよ」。全身にやけどを負った小学生3~4人に、まわりを囲まれた。
皮がむけ、手の先まで垂れ下…