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チビチリガマ内の祭壇に向かって手を合わせる遺族の与那覇徳市さん=2025年4月5日、沖縄県読谷村、金子和史撮影
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 太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民83人が「集団自決」に追い込まれた沖縄県読谷村の洞窟「チビチリガマ」で5日、慰霊祭があった。昨年には少なくとも2人の生存者が亡くなり、戦後80年の今年、生存者の参列はなかった。一方、犠牲者の親族で初めて足を運ぶ戦後世代の姿があった。

犠牲者の半数が12歳以下 背景に皇民化教育

 1945年4月1日、大艦隊で沖縄本島西海岸に押し寄せた米軍は、本島中部の読谷村に上陸した。沖縄県史などによると、ガマには住民約140人が避難していたが、翌2日、家族や住民同士が包丁で刺したり毒薬を注射したりして亡くなった。背景には皇民化教育や「軍官民共生共死」という軍の方針があった。83人の犠牲者のうち12歳以下が半数を占めていた。

 慰霊祭は遺族会が主催し、遺族ら約100人が参列した。自身は別の場所に避難して生き延びた与那覇徳市さん(82)は祖父母らを亡くした。ガマ内の祭壇の前で手を合わせ「この場所から平和を願う。二度と戦争を起こさせないよう力を貸してほしい」と語りかけた。

当時を語れる生存者、沖縄県内にはおらず

 生存者は戦後長く口を閉ざし…

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