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雪印メグミルクの本社=東京都新宿区

 節目の年を迎えても、4月の新入社員研修はいつもと変わらなかった。経営危機を招いた「二つの事件」を全員で学ぶ。

 一つ目の事件は、雪印乳業(現雪印メグミルク)の集団食中毒。起きたのは四半世紀前のことだ。新人の多くはまだ生まれていない。事件を知らない世代に痛切な経験を引き継いでいけるか。雪印は創業100年の課題の一つと位置づける。

 あのとき、研究部門に配属されていた畑本二美(ふみ)(60)は、2人目の子の育休中だった。

 2000年6月、低脂肪乳などを飲んだ人たちの食中毒が近畿地方を中心に広がる。会社の対応は後手に回り、最終的な被害は1万人を超えた。会見で社長らの不用意な発言や無責任な態度が再三報じられ、消費者の怒りを買う。

 飲料を担当する畑本の夫は、現場となった大阪本社へ駆けつけたきり、戻ってこない。心細い日々を過ごすうち、テレビを見るのが怖くなった。「もう私の帰る場所はないかも」。そんな思いがよぎった。

 ある日、幼稚園から帰宅した長男がこんな話を打ち明けてくれた。

 給食で出た牛乳を「飲まないほうがいい」と友だちに言われた。「お父さんとお母さんの会社だから、そんなことはない」と突っかかった。

 ハッとさせられた。涙ながらに聞くうちに、雪印の社員であることに誇りがもてなくなっていた自分に気づいた。

 子どもたちの日常にまで浸透していたブランドの重み。会社の存在意義を深く考えさせられる契機になった。

 夫をはじめ全国から延べ1万2千人の社員が大阪本社に集められ、被害者らを延べ3万回訪問した。社長ら経営体制を一新し、対策を打ち出した。現場の懸命な働きで何とか信頼をつなぎとめ、売り上げは1年半で7割まで回復した。

 その直後、今度は子会社の雪印食品が輸入牛肉を国産と偽っていたことが明るみに出る。二つ目の事件だ。

 2度の失態で「雪印離れ」は決定的となり、グループ再編を余儀なくされた。柱の牛乳事業をはじめアイスクリームや医薬品、冷凍食品、育児品は事業分社化により、他社との統合などが進められた。

世代が変わっても

 あれから20年あまり。畑本はいま、常務執行役員として「二つの事件」の教訓を全社に浸透させる役割を担う。

 全社員が職場ごとにグループをつくり、3月と4月を除く毎月、教訓や職場の課題などについて話し合う活動を今も続けている。ただ気になるのは、若い世代の意識だ。

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雪印メグミルクの経営方針について説明する畑本二美・常務執行役員=2025年4月2日、東京都新宿区、丸石伸一撮影

 そこで今年7月、全社員に向けて事件に関するアンケートを初めて実施することにした。世代間の認識のギャップを調べ、どんな手を打てば良いかを考える。

 「我々の世代は、信頼を損なうようなことを二度と起こしてはいけないという思いがものすごく強い。裏を返せば、また起きるかもしれないとも思っている。でも若い世代は、もう起きないと思っているのではないか、という懸念がある」

 実はあの事件の前にも、雪印の大規模な食中毒事件は起きていた。1955年、東京都内の小学校の給食で出された脱脂粉乳が原因だった。

 当時の社長は全社員に向けて…

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