総立ちになった聴衆が「百万本のバラ」や「琵琶湖周航の歌」を一緒に歌い、拍手喝采した。舞台の中心には歌手の加藤登紀子さん。師走の京都劇場(京都市)でのコンサートではギターの弾き語りをし、原爆漫画「はだしのゲン」の一節を朗読し、ジョン・レノンの「イマジン」の訳詞で平和を呼びかけた。音楽、著述とたゆまぬ表現活動の下地には戦後の引き揚げ体験がある。よく立ち寄るという祇園のロシア料理店「キエフ」で話を聞いた。
――ここはどんな場所ですか。
私のよりどころのひとつです。父・幸四郎が1972年に開店しました。前年に京都とキエフ(当時は旧ソ連)が姉妹都市になったんです。亡命ロシア人が多い旧満州(中国東北部)のハルビンでロシア語を学び、根をはった父は『ロシア人にとってのキエフは、日本人にとっての京都や』が口癖でした。92年の父の急死後は姉と兄が継ぎ、今はめいが社長として切り盛りしています。
――両親の出身地である京都で幼少期を過ごされました。
京都出身と自己紹介したら「あなたは満州生まれでしょう」と否定されたことがあります。話を聞いた父は「そんなこと言うたら満州生まれは(日本に)故郷のない者になる」と悲しんだ。旧満州にいた日本人は敗戦で流浪の民となり、終戦直後から引き揚げ途中で大勢が死に、無事帰国しても歓迎されなかった人もいた。そんな寄る辺のない民への思いが父は強かった。「ここが故郷」と家族や引き揚げ者が心安らげる場として店を作ったと感じます。父は開店時、店の窓から見える京都の東山に自分の墓を買ったんです。
――学生運動のリーダーだった…