惜別 スズキ元会長・社長の鈴木修さん
ユーモラスで分かりやすい言葉づかいが魅力的だった。
リーマン・ショック直前に在庫を減らして損失を抑えると「勘(カン)ピューターが働いた」と胸を張り、軽自動車税の引き上げが浮上すると「弱いものいじめだ」と憤ってみせた。
自分を奮い立たせ、周りもその気にさせていく。
どこの国でもいいから一番になりたい。社長就任時に語ったその抱負は、その後インドで実現した。今でもトップシェアを誇っている。
初代「アルト」の開発時には、エンジンを取ったらどうだと、技術陣にけしかけた。自らの本気を伝えることで、1979年当時でも破格の47万円での発売にこぎつける。これが軽自動車の普及やスズキの成長につながった。
義父から引き継いだ会社を世界的企業に育てた経営者に会ってみたいと、私が自宅を初めて訪ねたのは、2007年夏のこと。参院選取材の手伝いで偶然に浜松市を訪れたときだ。
地元・浜松での存在感
「片山虎之助さんは残念だっ…