北の大地で被爆の記憶を伝えてきた北海道被爆者協会が65年の歴史に幕を閉じる。4月以降は、被爆者だけでなく被爆2世と支援者が加わる「北海道被爆者連絡センター」として再出発する。
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被爆者の宮本須美子さん(87)、被爆2世の川去(かわさり)裕子さん(67)、これまで協会の事務局次長を務めてきた支援者の北明(きため)邦雄さん(77)の3人が共同代表理事を務める方針だ。
原爆投下から今年で80年。全国で被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は85歳を超えた。道被爆者協会も高齢化が進み、解散を決めた。日本被団協によると、都道府県組織の解散は12カ所目という。
道内にはかつて2千人の被爆者がいたともいわれる。当時、広島に配属された部隊の軍人に道内出身者が多かった。戦災者が対象の戦後開拓政策の主な入植地が北海道でもあったほか、仕事や親族の関係で移住してきた人もいた。
道被爆者協会が結成されたのは1960年。市民からの寄付を募り、91年には広島・長崎以外で唯一の原爆資料館「ノーモア・ヒバクシャ会館」(札幌市白石区)を建てた。
2015年からは、小中高校への語り部を派遣。札幌市によると、24年度には36校で被爆者が証言したという。
ノーモア・ヒバクシャ会館の土地と建物は北星学園大学に譲渡されるが、実質的にはセンターが運営して週3回程度の開館を続ける。2世の語り部の派遣も始めるという。
解散と新体制への移行を前にした21日、被爆者らが鈴木直道知事を表敬訪問した。道被爆者協会最後の会長広田凱則さん(87)は「核兵器が一発もない世界にしたい。道や市町村にも手を貸してほしい」と訴えた。
8歳の時に長崎で被爆した宮本さんは「我々被爆者は年を取りました。スムーズに動けなくなってきました。解散は残念ですが、これからも被爆のおそろしさ、戦争のむなしさを伝えたい」と話した。
鈴木知事は「子どもたち、若い世代に語り継いでいくこととは本当にすばらしいこと。戦後80年という節目にみなさんと取り組みを未来につなげていきたい」と支援を約束した。