片岡城(1)

 奈良県上牧町にある片岡城は、1577(天正5)年9月29日から10月1日にかけて攻防戦を行い、激戦の末に落城した城である。戦国時代には数多くの攻城戦・籠城(ろうじょう)戦があったが、奈良県の片岡城は、遺構がよく残る上に、特筆される史料群から攻防の詳細がわかる希有(けう)な城跡である。

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 そのため片岡城は本来、きわめて重要な城跡だが、発掘調査は一度もしていない。また国の史跡にも奈良県の史跡にもなっていない。本当に奈良県の文化財保護行政は偏っていて、古代の遺跡だけ守ったり調査をしたりすればよいとしている。中世以降の奈良の歴史に高い価値があるのにもったいない。そもそも奈良県は公式な県史を発刊せず、奈良県の歴史全般を通覧し、史料を収集・保管・展示する県立博物館も持たない。奈良県ほど、中世以降の歴史を軽視し、大切にしない自治体がほかにあるだろうか。

 そして片岡城を数多い戦国の城の中で特別なものにしているのは、先に記したように、特別な古文書が今に伝えられているからである。それが片岡城攻めで卓越した働きをした長岡(細川)与一郎(忠興)に宛てた「織田信長自筆感状」である。この書状は東京都文京区にある永青文庫が所蔵する。永青文庫は江戸時代に現在の熊本県を治めた細川家に伝来した美術工芸品や歴史史料を保管・調査研究・公開する美術館で、細川家に伝わった信長文書は合計で60通ある。

 このうち新規発見の1通を除…

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