■■ナガサキノート 桑崎英子さん=1929年生まれ
「上手に思い出して、なんとか筋道でも立つような話ならよいですけど」
今年4月、長崎市の特別養護老人ホーム。元小学校教諭の桑崎英子さん(95)は、ホームを訪れた元教員仲間らを前に、8月9日の被爆体験を語り始めた。
桑崎さんは、当時県立長崎高等女学校の4年生。15歳だった。爆心地から約1.2キロの三菱兵器茂里町工場に学徒動員され、魚雷の深度目盛りをつくっていたという。
午前11時2分。工場の2階で、同級生たちと部品を削る作業の順番を待っていた。
何かが光ったと思うが、あまり思い出せない。
気づいたときには、一緒にいた同級生たちはいなかった。名前を呼ぶと、一人が返事をしてくれた。数日前に広島で新型爆弾が落とされたと、人づてに聞いていた。「その爆弾だったのかも」
床板に穴ができ、下を見るとけが人がいた。その穴から飛び降りて、近くの防空壕(ごう)へ逃げることにした。
「もうそんな焦げたら死ぬのかな」
歩いて向かう途中、背中がピ…