米軍の原爆投下から今年で80年となる。当時を記録した写真や映像の企画展「ユネスコ『世界の記憶』登録候補 広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」が28日から広島平和記念資料館(広島市中区)で始まる。入場無料。9月16日まで。
朝日新聞社と中国新聞社、毎日新聞社、中国放送、NHKの5者と広島市が、1945年8月6日の原爆投下当日から同年末までに市民や記者らが撮った写真1532点と動画2点を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録申請している。
企画展では、申請した資料のうち写真86点と動画2点を展示する。5者(NHKは広島放送局)と共同通信社が後援する。
展示は3部構成。第1部「広島の壊滅」では、78年に発足した「広島原爆被災撮影者の会」の資料を展示する。撮影者は軍施設に動員されていた若者、広島県職員、写真業を営み戦時下で軍務にあたっていた人などだ。
様々な地点から撮影されたキノコ雲や大やけどを負った負傷者、放射線の急性障害を起こした兵士の写真などが並ぶ。中国新聞の松重美人氏が被爆当日に市民の惨状を撮影した写真を含む。
第2部は「被爆地に入る」。朝日新聞、毎日新聞など報道機関の記者たちが撮影した写真群だ。
被爆3日後の9日に市内に入った朝日新聞大阪本社写真部の宮武甫(はじめ)氏は病院で手当てを受ける少年や、やけどを負った母子が夫の手押し車で運ばれる様子などを撮影した。同じく9日に入った毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男氏も負傷した少女や同社広島支局付近の焼け跡を撮影している。
第3部「廃虚を歩いて」では、文部省が設けた学術調査団「原子爆弾災害調査研究特別委員会」関係の写真が展示される。45年10月、委員会に同行した林重男氏が撮影した街の破壊状況を撮った写真や、菊池俊吉氏撮影の頭髪の抜けた姉弟の写真などがある。
資料館学芸課の小山亮学芸員は「資料は人々が保存に努力し、今に伝わっている。自身も被爆し、家族を失う中で撮影された写真もある。記録を残すことの重要性を感じ取ってほしい」と話した。