長崎市出身の歌手、福山雅治さんが作詞作曲した「クスノキ」を合唱する、城山小学校と山里小学校の児童たち=2025年8月9日午前11時21分、長崎市、上田潤撮影

 米国が長崎に原爆を投下して80年となった9日、長崎市で平和祈念式典が開かれた。被爆2世の鈴木史朗市長は平和宣言で、紛争当事国に即時停戦を呼びかけ、核戦争に突入することへの強い危機感を表明した。

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 今年は101カ国・地域、欧州連合(EU)が参加予定だったが、その後7カ国が欠席し、過去最多とはならなかった。参列者は、原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分に黙禱(もくとう)を捧げ、犠牲者を悼んだ。

 市は、昨年見送ったロシアやイスラエルなど紛争当事国も式典に招待。両国のほか、日本と正式な外交関係がない台湾が今年初めて参列した一方、中国は欠席した。

 各国の代表を前に、鈴木市長は名指しを避けながらも「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください」「このままでは、核戦争に突き進んでしまう――。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」と訴えた。

引用した「ノーモア・ヒバクシャ」の言葉

 平和宣言の内容を決める起草委員会の最終会合を前にした6月下旬、米軍がイランを攻撃。鈴木市長は原爆を落とした米国が核施設を攻撃したことに「衝撃を受けた」と言い、急きょ即時停戦の呼びかけを盛り込んだという。

 ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にも触れた。1982年、米国の国連本部で開催された軍縮特別総会で、被爆者として初めて演説した故・山口仙二さん(1930~2013)の「ノーモア・ヒバクシャ」の言葉を紹介した。

 山口さんは14歳で爆心地から1.1キロの兵器工場に動員され、塹壕(ざんごう)を掘っていた時に被爆。全身にやけどを負い、戦後も、顔や胸にケロイドが残った。国内外で被爆体験を語り、被爆者運動の先頭に立ってきた。

 被爆者代表として「平和への誓い」を述べた横浜市の西岡洋さん(93)は、通っていた旧制長崎中学校で被爆した体験を語った。石破茂首相はあいさつで、非核三原則の堅持に言及。被爆後に救護活動にあたった医師・永井隆博士が残した「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」の言葉を引用し、「長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはなりません」と述べた。

 長崎原爆の死没者名簿には、この1年で新たに死亡が確認された3167人の名前が新たに記された。名前が記された死没者数は計20万1942人となる。

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