1945年の夏、米軍は原爆投下の訓練として「模擬原爆」49発を日本各地に落とした。富山市にも4発を落とし、63人が死亡、80人以上が負傷した。命日の7月26日、同市豊田本町2丁目で慰霊法要があった。
模擬原爆は、長崎に投下した原爆「ファットマン」(長さ約3・2メートル、直径約1・5メートル、重さ約4・5トン)を模した大型の爆弾。富山市には7月20日に3発、26日に1発を工場にめがけて落としたが、いずれも外れて着弾した。原爆投下の当初の候補地・新潟のためのテストだった。
26日朝8時ごろの爆撃で、両親らを失った故・鈴木善蔵さんが88年、退職金で自宅前に「平和祈願之碑」を建てた。犠牲者16人の銘板があり、爆弾のかけら、防空ずきんを納める。
碑は「人類にとって戦争ほど醜く嘆き悲しまずにいられないものはありません 再びとこのようなことの起ることはなく未来永遠に人類が平和でありますことを請い願って」と建立の理由を刻む。
79年前に犠牲になった祖父と同じ名前の理由は
長男の善作さん(73)がこの日、碑の前で法要を営んだ。
今年も参列した近所の北村竹…