Smiley face
作家大田洋子との思い出を語る小田洵子さん=2024年6月9日午後3時4分、広島市佐伯区杉並台、柳川迅撮影
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聞きたかったこと 広島

 《「学校へ行っとたけエ、先生がみんなの名をよびよっちゃったん。松井重夫ッいうちゃったとき、ぱアっと光ったん」

 かあいい声でよく話す女の子は、両手をぱあッと大きく、力いっぱいひらいて見せた。少女の開いた掌(てのひら)の間から、私は青白い火花がほんとにとび出たような気がした。》

 自身の被爆体験をつづり、原爆文学の金字塔とされた作家大田洋子の「屍(しかばね)の街」の一場面。「かあいい声でよく話す女の子」は当時、玖島国民学校1年生だった小田洵子(じゅんこ)さん(86)=広島市佐伯区=のことだ。

 大田洋子(1903~63)は帰省中に広島市内の妹宅で被爆した。市内から逃れた大田が身を寄せたのが、少女時代を過ごした玖島村(現廿日市市)で、「屍の街」は45年8~11月にそこで執筆された。

 大田は、小田さんの祖父が営む雑貨屋「松本商店」の2階に下宿していた。小田さんは「兄弟もいなかったから、おばちゃん、おばちゃんと言って、学校から帰ると毎日話をしに行っていた」と懐かしむ。

「活動写真かのお」騒いだ男の子

 45年8月6日のことは今も…

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