「生ましめんかな」などの作品で知られる原爆詩人、栗原貞子(1913~2005)を7年かけて研究した成果をまとめた松本滋恵(ますえ)さん(82)=広島市=の著作「行動する詩人 栗原貞子」(23年出版)が第27回日本自費出版文化賞の部門賞(研究・評論)を受賞した。9日に東京で表彰式があった。
元々研究者だったわけではない。21歳で中央大の通信教育課程に入ったが、仕事との両立が難しく中退した。主婦だった32歳の時に交通事故で夫を失い、小学校の給食調理員として働きながら3人の子を育てた。
大学に行きたい気持ちはずっとあった。一念発起し、定年を前に59歳で放送大学へ。大学院修士課程にも進み、被爆体験を文学作品に残した原民喜と峠三吉をテーマに修士論文を書いた。博士後期課程は広島女学院大へ。同大の「栗原貞子記念平和文庫」に通いつめ、77歳で博士号を取った。
原爆文学をテーマとした理由は自身の被爆体験だ。原爆投下前日の1945年8月5日は爆心地に近い左官町で時計店を営んでいた伯父宅で過ごし、夕方に江波の自宅へ。翌日、祖父や伯父夫婦ら4人が原爆で亡くなった。1日の違いが運命を分けた。「原爆から生かされている」と今も強く思う。
博士論文は栗原がGHQのプレスコード下で刊行した詩集「黒い卵」や日本の戦争加害と向き合った「ヒロシマというとき」などを取り上げ、創作意図や時代背景などを読み解いた。
2年前、亡くなった弟の自宅から、81年前に太平洋のパラオ沖で戦死した父の遺品「支那事変従軍記章」が見つかった。日中戦争への従軍を顕彰する記章だ。
「敵を9人殺した自分は畳の上では死ねない」。父がそう語っていたと生前の母から聞かされたことを思い出した。「やっぱり私も加害者じゃないか」
栗原は軍都だった広島は加害者でもあると訴えていた。「戦前から反戦を貫き、加害責任をも問い続けた栗原のことを知ってもらいたい」。本を出版し、改めて願っている。(柳川迅)
放送大学では21年かけて教養学部の「生活と福祉」「発達と教育」など全6コースすべてで学位を取得する「グランドスラム」を達成した。被爆者らでつくる「ヒロシマを語る会」に加わり、今年5月から証言活動にも携わる。