【動画】台湾東部の花蓮県には、日本統治時代の建築物が多く残る=岩田恵実撮影

台湾東部沖を震源とする地震の後、崩れずに残った日本統治時代に造られた橋。補強工事後に臨時道路として使い、台北と花蓮を結ぶ主要道路が早期開通した。本来道路にかけられていた橋(黄色い柵の右側)は落石により崩落した=2024年4月7日、花蓮県、岩田恵実撮影
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 木造の本堂に弘法大師や不動明王の像が立ち、境内にこいのぼりがたなびく。お守りやおみくじ、御朱印もある。日本の寺との違いといえば、絵馬のほとんどが中国語で書かれていることぐらいだ。

 ここは台湾東部・花蓮県にある真言宗の寺「慶修院」。花蓮県には日本統治時代に造られた建築物が多く残り、観光地にもなっている。その一つであるこの寺に私が足を運んだのには、理由があった。

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 4月3日、最大震度6強の地震が花蓮県を襲った。死者十数人を出し、過去25年で最大規模の地震だった。

 現地で取材をすると、避難所は素早く開設され、アロママッサージまで用意されていた。日本なら後回しにされそうな細やかなケアもボランティアによって即日提供できる、台湾の市民社会の成熟ぶりに驚いた。

 一方で、対照的に「日本はすごい」と、現地で話題を集めたニュースがあった。発災から3日後、主要道路が落石で寸断されるなか、近くにかかる日本統治時代に造った橋が、損傷せずに残ったのだ。その橋を使うことで道路が開通した。

 なぜ花蓮にはこうした建築物が残るのか。どんな歴史があり、思いがあったのだろう。それを知りたくなって慶修院を訪ねたのだ。

四国の形をした池、その由縁とは 

 「ここは四国のお遍路と同じ御利益があるんだ」。管理人の陳義正さん(54)は胸を張った。境内の地面の一部には、四国八十八カ所霊場の土が混ぜられているという。四国の霊場にちなんだ88体の石造りの仏像が並び、池は四国の形をしている。

 その由縁は、台湾が日本に割…

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