敗戦まで台湾総督府だった台湾総統府=2024年12月7日、台湾・台北市、大室一也撮影

 台北の台湾総統府は、日本統治時代には台湾総督府だった。中央に高さ約60メートルの塔がそびえ、左右に5階建ての建物が広がる。そこでは多くの官僚が働いていた。

 元山口県知事・小沢太郎(1906~96)もその一人。同県出身の父親をもち、台湾で生まれた「湾生」だ。回想録「風雪」によると、東京帝大生の時、台湾の原住民族を研究し、その成果を元総督・上山満之進に話した縁で総督府に入った。

 その後、日中戦争の占領地行政を企画・立案する東京の興亜院に異動した。アヘン中毒患者の矯正施設をつくる仕事に携わったが、陸軍が上海でアヘンを密売し、興亜院の幹部が中心的に関与しているといううわさを耳にする。事実なら興亜院は謀略機関だと憤った小沢は総督府復帰を願い出て、かなえられる。

「台湾をゆく 明治維新から敗戦まで」 (5)小沢太郎

長州藩・山口県出身者が関わった日本の台湾統治を振り返る連載。最終回は米軍の演習場化要求から秋吉台を守った湾生知事を紹介。

 太平洋戦争開戦前年の40年…

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