クネンボ入り金山寺みそなどの試食が行われた=2025年3月8日、山口県萩市今魚店町、山野拓郎撮影

 かつて、山口県内で盛んに生産され、吉田松陰が好んだとの逸話が残る果物「クネンボ」。いまでは「幻の果物」となったクネンボの復活に向けた取り組みが、松陰ゆかりの地、萩市で進んでいる。

 3月上旬、萩市の国指定重要文化財「熊谷家住宅」の一角で、クネンボの植栽式が行われた。

 田中文夫市長(76)は「萩藩では重要なおもてなしの際にクネンボが使われたと聞く。植栽の場に萩を選んでいただけて本当にうれしい」と喜んだ。

 クネンボはインドシナ原産。沖縄を経て、九州に伝わったとされる。紀州ミカンとともに国内有数のかんきつ類となり、明治初期には、県内の生産額は日本一を誇った。

 その後、「かんきつ類代表」の座を温州ミカンに奪われる。その理由として、山口大学の五島淑子名誉教授(食文化)は「種の多さ」を指摘する。

 当初、クネンボの種の多さは子孫繁栄につながると歓迎されたが、食べづらさから敬遠されるようになった。次第に、種のより少ない温州ミカンが好まれるようになったという。

 戦後の高度成長期には、県内ではほとんど生産されなくなった。そんなクネンボを復活させようと、五島さんら山口大の研究者らが活動を始めた。

 きっかけは、明治改元から150年にあたる2018年、萩藩を治めた毛利家のおもてなし料理を再現しようとしたことだった。料理の献立に「九年母(くねんぼ)」が含まれていたという。

 県内ではクネンボが見つからず、結局、福岡県宗像市の宗像大社からクネンボの穂木を譲ってもらった。苗木は、熊谷家住宅や松陰神社に植えられたほか、青木周弼旧宅や明倫学舎など、萩市各地で植栽される予定。

 熊谷家住宅での植栽式では、試験栽培されたクネンボの試食会も行われた。口に含んだ出席者らは、鮮烈な香りや濃厚な味を堪能した。

 江戸時代には、なますや刺し身のあしらいに使ったり、細切りの皮を干して油で揚げたりしていたクネンボ。幻の果物を復活させる意義を、五島さんは強調する。

 「歴史、文化、教育、環境など、さまざまな面で山口に貢献できれば良い。子どもが当時の食文化に関心を持つきっかけにもして欲しい」

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