紙を折る人「オリト」――。札幌市に工房を構える品田美里さん(42)は、自身の創作を「ただの折り紙ではない」という思いを込めて、そう自称するアーティストです。
花びらや葉っぱ、雪の結晶……その作品は、自然の造形美をモチーフに、和紙を巧みに折って創りだしたもの。2016年に高級リゾート地ニセコのホテルの照明デザインを手がけたことで注目され、今では創作のみならず、全国の希少和紙の研究まで活動を広げています。
ただ、ここまでの道は平坦(へいたん)ではありませんでした。「何者かにならなければ」ともがいた20代。日本語教師やNPO職員、カフェのスタッフなど、自ら「漂流」と表現する職業遍歴の末、本当にやりたいことを見つけたと言います。人生論を聞きました。
和紙アーティスト「ORITO」品田里美さん
「ORITO」。アーティスト名を掲げた看板のある昭和風の民家が品田さんの工房。ランプ照明や、モビール、イヤリングやブレスレットといった和紙で作った作品が飾られ、16年に和紙アーティストとして自活を始めてからの8年間すべてが詰まった空間だ。
「セルフブランディングもお金を稼ぐことも、そんなに上手ではないと思います。結構泥くさいというか、8年間の経験のなかで少しずつ自分で納得しながら、自分を構築していったように思います。今やっと、『未来が具体的にみえてきたかな』というフェーズに入ったような気がします」
ことの始まりは08年。札幌市内の大学で北欧地域学を学んだ後、恩師の紹介で就職した先は、兵庫・淡路島の日本語教育機関。しかし、自らの仕事ぶりに納得できず、自己肯定感は低いままだった。
3年後、芸術家支援や地域作りをする島内のNPO法人に転職。休耕田で製油用のヒマワリを育てるかたわら、島に移住したアーティストの創作を支援する裏方として働き、映像作家や陶芸家、彫刻家などさまざまなアーティストと出会った。
品田さんは振り返る。
「『自己表現とは何か』『それを生業とすること』について、アーティストたちの実践を垣間見て、自分なりに咀嚼(そしゃく)して考え行動することを手探りで模索し始めた時期だと思います」
自身を省みると、仕事の多くは上司の指示をこなすだけ。「あちら側に行きたいな」との思いを募らせたという。
「若い頃からなんとなく『何者かになりたい』と思っていたのかな。別に何者でもないのに、そういう思いだけは持っているみたいな感じだったんじゃないかなと思います」
「屋号」とともに踏み出した一歩
新しい生き方を模索する一歩を踏み出した。まず、島の農産品イチジクの産業化を目指す勉強会に参加し、シロップを考案してみた。それを広めるアクティビストとして「kanoka」という屋号を名乗った。イチジクを漢字で書くと無花果。「かのか」と読める下2文字の響きが気に入った。
故郷の札幌に戻ることになったのは、30歳だった13年1月。実家の札幌の母が大けがをして一時的な介助が必要になった。
落ち込みがちな母を励ます手段はないか。この時期急速に普及したスマートフォンで手軽に使えるようになったSNSで、母が得意な編み物を紹介してみたら、とアイデアが浮かんだ
母のニット帽を「映える」商品としてフェイスブックで紹介したところ、2年弱の活動だったが、数十の注文があった。もうけになるわけではなかったが、母が「自分が必要とされている」と元気を取り戻す一助となった。
「紙を折る人」として歩み始めたのも、この時期だ。
折り紙とは違う、オリジナル
紙を折ることに熱中している…