5月に亡くなった劇作家・演出家・俳優の唐十郎の作品や言葉には、歌舞伎をはじめ近世に生まれた芸能や、それらを担った人たちへの共感がにじんでいる。
歌舞伎俳優の中村勘九郎は6月、テント芝居デビューを果たした。
「コンチクショウ」十八代目中村勘三郎も憧れた
新宿梁山泊が上演した、唐十郎作の「おちょこの傘もつメリー・ポピンズ」。会場は新宿・花園神社。唐が最初に紅(あか)テントを立ち上げた場所だ。
勘九郎とテント芝居との縁は、父の十八代目中村勘三郎からはじまる。
勘三郎は1977年に東京・青山で唐の「蛇姫様」を見た。69年に新宿を追われた唐は当時、公演地を転々としながら、都内でも上演を続けていた。
「コンクリートの花道があって、ホントの水使った水入りがあって宙乗りがある。そしてなんと、いまの唐組もそうなんだけど、掛け声が掛かるんだよ!」「これは歌舞伎じゃねぇか、コンチクショウって思ったの」(「歌舞伎ッタ!」)
当時の興奮をこう記した勘三郎は、のちに東京・浅草で江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場「平成中村座」を建て、憧れを実現させた。
父に連れられ、勘九郎は子どもの頃から唐などのテント芝居を見てきた。「『芝の上に居る』と書くから『芝居』だと、父は言っていました。ゴザをしいて見るテントの空間は演劇の、いや芸能の原点ですね」と語る。
一方、唐は、近世に生まれた歌舞伎への共感をしばしば口にしていた。
現代の視点をふまえて歌舞伎…