状況劇場の第1回紅テント公演「腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇」の様子=1967年

 劇作家・演出家・俳優の唐十郎が5月、世を去った。その代名詞「紅(あか)テント」は、唐の表現にとってどんな意味を持っていたのか。全てが始まった57年前の夏にさかのぼり、探った。

 フーテン族やヒッピー族、アーティストまで多くの若者がひしめいていた、1967年夏の東京・新宿。中心部の少し外れにある花園神社の境内に突如、八角形の天幕が出現した。

胎内、毒花……「入るのを躊躇した」

 ある人は「胎内」、演劇評論家の扇田昭彦は「毒花」に例えた空間。それが、唐十郎が「演劇史上初のテント劇場」と銘打った紅(あか)テントだった。

 当時、唐が率いていた劇団「状況劇場」の機関紙によれば、収容人数は200人。朝日新聞は、テント公演第1作「腰巻(こしまき)お仙 義理人情いろはにほへと篇(へん)」の様子を、次のように報じた。

 「客はしかし、いわゆるフーテンなどではない。れっきとした、といってもよい学生、サラリーマン、BG(注:ビジネスガール)たちだ。が、この赤い八角形の、土ぼこりの立ちのぼるテントの中は『非合法的な集会』とでもいえるものがあり」(67年9月11日夕刊)

 唐とともに「アングラ演劇」…

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