Re:Ron特集「わたしの名前」① 趙博さん
個人と社会の境界にあるのが「名前」です。個人のアイデンティティーであると同時に、社会状況も大きく影響を受けます。「私」をどう名乗るのか、どう名乗れるのか、名乗れないのか。名前に込めた思いについての「聞き語り」をシリーズでお届けします。
僕には名前が四つあります。それを隠すべきだとも、悪いことだとも、今は思いません。
僕の記憶は、3歳から始まっています。
そのとき僕は「安藤茂春」で、大阪・西成の長屋の近所にいたおばちゃんたちは「シゲちゃん」と呼んでいました。これが、自分の記憶に登場する最初の名前。
お袋は僕が生まれて1年後に離婚し、「西山高雄」という男性と再婚しました。西山は日本名で、彼の本名は「趙寿竜(すよん)」です。
遠い昔のことを、不思議と今でも覚えています。1960年になる前の、たぶん冬でしたかね。西成の路地を、オールバックの男がコートを着て歩いてくる。その人とお袋と乗った小豆色の阪急電車の中で、お袋が言うんです。「ええか、明日からお前は『西山博』やで」って。下の名前がなんで博だったのかは分かりませんが、二つ目の名前です。
幼かったですし、特に違和感はありませんでした。そこから18年間は、「西山博」で過ごすことになります。
「このチョーセン!」あのときの僕の心の叫び
65年に日韓条約が結ばれ…