あの時、一力遼の感情は震えていたのだろうか。

 モニターに映し出された彼は「ちょっとすみません」と言って、傍らのティッシュを取ってはなをかみ、目元をぐっと拭った。そして再び画面に視線を送った。

 こみ上げるものがあったように私には見えたが、劇的な場面を見たいと願うことで生まれた拡大解釈かもしれない。

 本当のところは分からない。

 けれど、同席した別の記者に後で尋ねると「ちょっと泣いているのかな、と私も思いました」と話していたから、同じような印象を与えたことになる。

凱旋(がいせん)帰国の一力遼棋聖(後列中央)を出迎えた洪道場の生徒たち。洪清泉四段(同右から3人目)も笑顔=2024年9月9日午後1時43分、東京都大田区の羽田空港第3ターミナル、北野新太撮影

 9月8日夜、27歳の棋聖は4年に1度行われる囲碁の国際戦「応氏杯世界選手権」決勝五番勝負第3局で中国の謝科(しゃか)を相手に終盤の逆転劇を演じ、3連勝で悲願のワールドチャンピオンになった。憧れの棋士である張栩(ちょうう)が2005年にLG杯を制して以来、日本勢として19年ぶりの世界一だった。

 栄光の時が訪れた直後、東京・市ケ谷の日本棋院で開催されていた解説会の壇上に駆け上がったのは、恩師である四段の洪清泉(ほん・せいせん、42)だった。

 主宰する名門「洪道場」で小学生時代から一力を育てた名伯楽は、来場者約100人の拍手と歓声に包まれながら「一力が世界一になったよ! ウォー!」と叫んだ。

 そして「これが言いたかった…

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