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患者団体との懇談に臨む伊藤信太郎環境相(中央)=2024年7月8日午後4時19分、熊本県水俣市のもやい館、小宮路勝撮影

 思いを伝える途中にマイクの音声が切られた懇談から、2カ月余り。再び熊本県水俣市を訪れた伊藤信太郎環境相は8日、患者・被害者団体との懇談をやり直した。

 3日間かけて各団体と懇談し、水俣病に向き合う姿勢を示したい狙いだが、公式確認から68年が経つ問題の解決に、本当につながるのか。これまでの経緯もふまえ、被害者側は厳しい目を向けている。

 再懇談の初日となった8日、伊藤氏は午前8時半から午後6時近くまで、昼休みを挟んで6団体と懇談を重ね、患者らの声に耳を傾けた。

 懇談を終えると、手応えを感じた様子で報道陣の取材に語った。

 「さらに皆様から意見をうかがって、真摯(しんし)に検討することを通じて水俣病対策を前進させたい」

 そんな初日の懇談の様子に、鹿児島県に住む女性(64)はつぶやいた。

 「話を聞くだけ聞きましたという形づくり。見せかけではないか」

 伊藤氏は「マイクオフ」が問題になった後、公害対策にあたる旧環境庁の発足経緯をふまえ、「原点は水俣病」と折に触れて強調してきた。女性にとっては、その言葉も空々しく響く。

 不知火(しらぬい)海沿岸の漁村集落で生まれた。両親とも漁師で、地元の魚を食べて育った。地域では多くの患者が出ており、両親と同居の祖父母も水俣病患者だ。

 女性も物心がついたころから、頭痛やめまいのほか、「からす曲がり」と地元で呼ぶこむらがえりなどの症状に悩まされてきた。約20年前、患者としての認定を行政に求めた。しかし、国が定めた基準のもとでは、認められなかった。

写真・図版
水俣病の認定を求めている女性の手。熱さや痛さなどが感じにくい。しびれがあり、指がつることも多い=2024年7月7日、田中久稔撮影

 光明が差したこともあった。

 2013年4月、最高裁が判決で、従来の認定のあり方を否定したときだ。

 裁判では、熊本県水俣市に住んでいた故・溝口チエさんが水俣病かどうかが争われた。それまでは、国の基準が示す複数の症状の組み合わせがなければ認定されなかった。

 これに対し最高裁は、感覚が鈍くなる典型症状一つでも、生活歴などを総合的に検討して認定できると判断し、行政の主張を退けた。

 チエさんは認定され、多くの被害者の認定につながるとの期待が広がった。

 ところが、「巻き返し」(被…

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