備中国分尼寺跡で見つかった塔跡=2025年9月19日午前11時53分、岡山県総社市、上山崎雅泰撮影

 奈良時代に聖武天皇の発願で建立された備中国分尼寺跡(国史跡、岡山県総社市)で、平安時代中期の塔の跡が見つかった。岡山県古代吉備文化財センターが19日発表した。国分尼寺に塔は存在しないとされており、専門家は「全国初の発見」としている。

 塔跡は一辺6.3メートルの正方形。金堂跡から南東約40メートルの場所で、塔の中心にある心柱の礎石の抜き取り跡が見つかったことなどから、塔跡と判断した。塔は寺の創建時(8世紀中ごろ)にはなく、周辺の土器の出土状況などから10世紀に建てられたらしい。

 国分尼寺は741(天平13)年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔(みことのり)により、尼僧の修行の場として国分寺とともに全国約60カ所に建てられたとされる。紀伊国分尼寺跡(和歌山県)や土佐国分尼寺跡(高知県)など、以前からあった寺を国分尼寺に転用した例を除き、塔はないとされていた。

 発掘調査の指導会委員を務める上原真人・京都大名誉教授(考古学)は「規模は五重塔と考えてよいと思う。国分寺造営の詔をうけて建った国分尼寺には塔がないのが定説なので、驚いた。藤原道長らは『寺には塔があるべきだ』と考えていたようなので、当時の一般的な考えに基づいて新たに計画・造営されたのでは」としている。

 現地説明会は27日。29日~10月1日にも現地が公開される。

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