2011年の箱根駅伝、総合10位でゴールし、初のシード権獲得に喜ぶ国学院大アンカーの寺田夏生(中央)=2011年1月3日、代表撮影

 国学院大は今季、「歴史を変える挑戦 ~エピソード3~」というスローガンを掲げている。

 エピソード「3」としたのは、過去にも2度、同じスローガンで戦った年があるからだ。

 エピソード「1」は2010年度。箱根駅伝5回目の出場で初めてシード権を獲得した。

 最終10区は駅伝ファンに深く記憶されている。

 1年生アンカーの寺田夏生がゴール直前の交差点でコースを間違えた。一度はシード圏外の11位に転落しながら、猛烈なスパートでギリギリの10位に滑り込んだ。この〝事件〟は、俗に「寺田交差点」と呼ばれている。

 今でこそ強豪校の国学院大だが、このときは箱根駅伝の出場すら4年ぶり。箱根から遠ざかっていた3年間、チームの士気は高くなかった。

 「『箱根をめざす』と言いながら、実際にはそんな雰囲気はなかった」

 当時のエース荻野皓平(35)は振り返る。寮の規則を破り、夜遅くまでカラオケに興じる部員もいたという。

 荻野より1学年先輩の仁科徳将(36)は、5000メートル15分台の記録で入学した。なのに、「1年夏からAチームに入れて、『これで大丈夫なの?』と思った」。

 不安は的中する。「1年生の…

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