記者コラム「多事奏論」 本社コラムニスト(天草)・近藤康太郎
大食らいでおなじみの塾生ギャル原(29)が、自分のところの新聞にこんなコラムを書いていた。居酒屋で「特大白ご飯」を注文したら、店主がすっ飛んできた。ほんとうに大丈夫か? 語気鋭く3度も確かめる。「いまのご時世、残されたら困る」と言うのだ。カツ丼3杯をさらさら飲むギャル原も気圧(けお)され、「大盛り」でがまんした、と。
笑ってしまった。いや、笑えないか。政府が備蓄米を放出しても、米の価格は高止まり。「米は買ったことがない」農林水産大臣が事実上更迭され、「買ったことはある」新大臣になった。
今年も家庭の米びつが心配である。
わたしは、農業を経営している「農家」ではない。自分が食う分のほかに、隣人と塾生と音楽評論家仲間と書籍編集者と、それからファンの新聞読者に、無償で配っているだけの「百姓」だ。
いまも田植え準備で忙しいのだが、わたしの棚田で、どうしても水がたまらないのが一枚ある。あぜをきれいに掘り、水が抜けないように縁をえんこらさと踏んで歩き、少しでも水がたまったらそこだけ選んで丁寧に代かき……。手足の豆がやぶける作業を続けて、それでも、満々と水が張らない。土が水を保っていない感触がある。
もともとわたしのところは…