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地下鉄サリン事件から30年となり、東京メトロ霞ケ関駅で献花し黙禱(もくとう)する林隆弥・同駅務管区長=2025年3月20日午前8時39分、東京都千代田区、代表撮影
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 14人が死亡し、6千人以上が重軽症を負った地下鉄サリン事件から、20日で30年になった。現場の一つの東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)では、発生時刻に近い午前8時ごろ、駅員らが黙禱(もくとう)。被害者や遺族らも静かに手を合わせ、犠牲者を悼んだ。

 霞ケ関駅の助役だった夫の一正さん(当時50)を亡くした高橋シズヱさん(78)も午前10時ごろ、献花に訪れた。事件以来、毎年献花に訪れている。一正さんはサリンが入った袋を片付け、搬送先の病院で亡くなった。

 シズヱさんは報道陣の取材に「ここに来ると当日のことを鮮明に思い出して悲しみがこみ上げてくる。長い30年だった」と振り返り、「オウム後継団体とずっと闘っている現状です。本当はこんな人生じゃなかったのにと思うと悔しい」と話した。

 そして「事件を風化させずに、若い人たちをカルトから守ることをこれからも続けていきたい。事件を忘れないでほしい」と呼びかけた。

 高橋さんの他にも、長年被害者を支援してきた関係者が献花台を訪れた。

 後遺症に苦しむ被害者のケアをしてきたNPO法人「リカバリー・サポート・センター」(RSC)の関係者約30人が献花に訪れた。RSCは今月末に解散を決めており、理事長の木村晋介弁護士は、「被害者にとって決して楽ではない30年だった」と振り返った。「それぞれの話をしっかり聞くことを大事にして寄り添ってきた」とした上で、「まだ4分の1の方にはPTSDの症状がある。解散後も、少しで安心していただけるようなシステムを構築し、私も参加していきたい」と話した。

 オウム真理教を長く取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「オウムは誰も幸せにしなかった」と強調。「特殊な団体だったが、オウムのように人を動かす現象は、今も色々なところで見ることができる。教訓として次の世代に伝え、同じような被害にあわないようにすることが大事だ」と話した。

 30年の節目となったこの日、よりも多くの人が献花台を訪れ、花を手向けたり、手をあわせたりした。

 薬剤師の多田和子さん(75)=東京都港区=は、事件当時、日本赤十字社医療センターに勤務していた。事件の一報を聞いて「大変なことが起こった」と思ったという。直接の治療にはあたらなかったが、事件後、ボランティアで事件被害者の心のケアに携わってきたという。「被害者の傷は簡単には癒えない。二度とこのような事件が起きてはいけない」と語気を強めた。

 国家公務員の富沢勇さん(57)=東京都東久留米市=は、当時、霞ケ関駅を利用していた。事件による被害はなかったが、「生かしてもらったと思っている。30年が経ち、『気持ちだけでも』と手を合わせにきた」。部下の多くは事件を知らない世代になった。「機会があるごとに伝えていきたい」と話した。

 派遣社員の森本ゆかりさん(56)=埼玉県=は当時通勤中で、日比谷駅で日比谷線に乗り換える際、地下鉄が全面的に運休になったことを覚えている。「何か大変なことが起きたのだろう」と考えながら、徒歩で会社に着くと、テレビが事件現場の様子を映していた。

 森本さんは「もしかしたら被害に遭っていたかもしれない。『たまたま生かされた』という思いは、後ろめたさでもあった」と言う。初めて献花台を訪れ、手を合わせた。「私1人の力ではどうにもならないが、『この事件を忘れません』と伝えにきました」と話した。

 事件は1995年3月20日に発生。オウム真理教の信徒らが、霞ケ関駅に向かう地下鉄日比谷線や千代田線、丸ノ内線の3路線5車両でサリンをまいた。乗客や駅職員ら14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った。警察の捜査が教団に迫るなか、首都を混乱させることが目的で、霞ケ関駅を通る3路線が狙われた。

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