初期ヤマト政権の王墓とされる大型の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)。その周辺に位置する外山(とび)地域の歴史について、大淀町教育委員会学芸員の松田度さんが、地名や伝承から考えました。
初期ヤマト政権の王墓として注目
奈良県桜井市外山の南方にそびえる、標高245mの鳥見山(とみやま)。その麓にあるのが、全長約200メートルの茶臼山古墳。史跡名は「桜井茶臼山古墳」だが、小字は外山谷(とびだに)で「外山茶臼山古墳」ともいう。
鳥見山からせり出した岬状の丘尾を切断して造られている。盛り土された円丘の頂きには、3世紀末ごろの巨大な石室が眠っていた。
1949年と50年に奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)によって発掘調査され、2009年にも石室周辺の再調査がおこなわれた。みつかった銅鏡片385点を調べた結果、総数103面以上になることが判明し、初期ヤマト政権の王墓として三度注目を集めている。
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