経済思想家の斎藤幸平さん(38)は、音楽家の坂本龍一さん(享年71)から「声をあげる勇気」をもらったと言います。坂本さんが大切にしてきた個人の自由や多様性を尊重する「リベラル」の考え方が衰退しつつある今、思うことは。
――坂本龍一さんとの出会いは?
私が環境問題について発信するようになった契機は、3・11の東京電力福島第一原発事故です。
当時はドイツ留学中でした。日本では声を上げたり、デモに参加したりすることは欧米ほど一般的ではありません。だから社会運動がなかなか盛り上がりにくい。でも坂本さんのような国内外で認められていて影響力がある人が、真剣に「反原発」「非核」「非戦」を発信してきて、あのタイミングでも率先して声を上げてくれた。
声を上げること、自分の意見を表明することは間違っていない、世の中のために大切な行動なんだ、という勇気をもらいましたね。
ならぬものは、ならぬ
――日本人では珍しい存在だと。
大江健三郎さんか、坂本龍一さんか……。専門家ではないけれど、「ならぬものは、ならぬ」「Do the right thing(正しいことをする)」という軸を持ち、しっかり話される。そのことに感銘を受けました。
お上意識が強いこともあってか、日本人はなかなか声を上げないですよね。米国では、メジャーレーベルのロックバンドがイラク戦争の反戦曲をつくるというようなことは普通ですが。坂本さんはすごいな、と当時から感じていました。
そして3.11でも声を上げた。自分と同じことを考えていることに、「私は間違っていなかった」という気持ちにもなりました。
――初めての出会いは?
2019年12月のラジオ番組の収録(放送は翌年1月)で初めてお目にかかりました。私は当時、大阪市立大(現大阪公立大)で教えていて、関西から出向きました。ご縁なのか、息子さんの空音央(ねお)さんが、私の母校である米ウェズリアン大学出身だと教えてくれました。
その時の会話で覚えているのは、古典を読むこととクラシックを解釈することは似ているという話でした。
ルールや型があり、表現の幅の中で解釈することは哲学と同じ。哲学も原典にあたり、それを現代的なものに変えたり、ここは時代遅れだよねと切り捨てたりする人もいるけれど、私の場合は、それもすべて踏まえた上で、解釈することを心がけている。解釈して演奏する、解釈して論文を書くことは似ていると、言いました。
直接会ったのはその時だけです。私に興味を持ってくれて、ありがたいなと思いました。
――その後も交流が続いたのですね。
私が編者を務めた「未来への大分岐」を、坂本さんが書評で取り上げてくださいました。
その後も一緒にご飯に行ったり、3.11から10年という節目に、東京の日比谷公園で、民主主義や多様性を守る取り組み「D2021」を実行したりしようと話していました。
ですがコロナ禍になり、その後坂本さんががん闘病に入られて、対面することはありませんでした。
坂本さんが出演するラジオ番組ではリモートで対話しました。
強靱な思想家と似ていた
――やりとりで印象深かったことは?
少ない機会ですが、私と話す…