崎山多美さん

 戦後80年、そして沖縄の米兵による1995年の少女暴行事件から30年が経つ。いまも巨大な米軍基地を抱え続ける島で、むき出しの暴力と接する暮らしを強いられてきた女性たちの目に映る風景とは。基地の街・コザから沖縄を見つめてきた作家の崎山多美さんに聞いた。

  • 若い女性が夜に1人で外出できないのが沖縄 戦後80年変わらぬ島で

 ――米軍基地が常にあった戦後80年間、沖縄の女性たちはどんな生活を送ってきたのでしょうか。

 「基地の街と言われたコザ(現沖縄市)に住んで沖縄社会を見てきましたが、女性への性暴力は長い間表には出ないかたちで日常的な風景としてありました」

 「復帰前のベトナム戦争の頃、私は10代後半でしたが、女性たちは常に基地被害と隣り合わせの不安や恐怖を感じていたと思います。米軍基地の存在が問題の根源であることは自覚していましたが、抗議や抵抗というかたちで声を上げるのは難しかったのです」

 ――1995年の米兵による少女暴行事件では大きな抗議運動が起きました。

 「発生当初は、小さな記事になっただけでした。女性たちのグループが抵抗の声を上げ、当時の大田昌秀知事が動き、ようやく本土メディアが報じた」

 「それ以前ももっとひどい事件が数多く起きていたのに大きな声は上げられなかった。背景にあったのは経済的な貧しさです。コザでは基地労働者や米兵を客にした商売で生活している人々が多くいて、米軍基地から経済的恩恵を受けているという現実があった」

何とかなりそうという空気と、政治的になし崩しにされる予感と

 ――95年の事件で、状況は変わりましたか。

 「県民が一丸となって抵抗すれば何とかなりそうだという空気と、政治的、策略的になし崩しにされていく予感も同時にあったように思います。根にある政治的構造の問題を見通せないまま、ただ拳を上げていたという気が個人的にはしています」

 「県民大会に何万人集まったといったことが話題になりますが、そんな数字に還元されない言葉が必要でした。沖縄に基地が集中している政治的構造について識者がいくら解説しても、住民の生活感のなかに下りてこない。それが今日まで続いている気がします」

 ――それは、どういうことですか?

 「生活の場で自らの問題とし…

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