映画プロデューサーの堀越謙三さんが6月19日に80歳で亡くなった。東京・渋谷に映画館ユーロスペースを開館し、レオス・カラックス監督らの先鋭的作品を配給・上映して1980~90年代のミニシアターブームを先導した一人だ。映画人育成の必要性を説き、映画教育機関の立ち上げにも深く関わった。その教育の場に指導者として招かれ、東京芸大大学院では同僚だった黒沢清監督が寄稿した。
- ユーロスペース代表の堀越謙三さん死去 カラックス映画など製作配給
金は出すが口は出さない、製作者としてのポリシー
実は、私は堀越謙三さんのことをほとんど知らない。堀越さんはだいたいいつも百ほどの案件に係(かか)わっておられて、私が係わるのはその中のほんの一つか二つだけだった。
映画プロデューサーというのが、私が知る堀越さんの代表的な顔だったが、私自身は何かの作品の製作現場を堀越さんと共有したことはない。かつて一本だけ、映画美学校で『大いなる幻影』という映画を撮った時も、堀越さんと打ち合わせしたことなどいっさいなかったと記憶する。堀越さんはよくこんなことを口にされていた。「監督なんてみんな好き勝手なことばかりやる人種だから、こちらからあれこれ言ったって意味がない」。私が、自分はそうではないと反論しても、「またまた」と相手にされなかった。これはつまり、気に入った監督には金は出すが口はいっさい出さないという堀越さんが貫いた製作者としてのポリシーであり、才気あふれる破天荒な監督にぞっこんほれ込むことが、すなわち堀越さんの映画作りだった。と言うわけで、レオス・カラックスはとことん気に入られ、一方私は監督としてはそれほど気に入られていなかったようだ。
その代わり堀越さんは私を二…